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思うは招く

「独学のすすめ」読書メモ

読んだ本

どんな本?

何かを学びたいなら、独学で大丈夫という話。

勉強は一人でできるようになっている

学校と言う場所は学問をするためには便利な場所だけど、学校に行かなくても勉強はできる。1人でもちゃんとできるようになっている。

今日みたいな情報社会では、その気になりさえすれば、どんなことについてでも、いくらでも1人で勉強ができる。

「専門」と名がつくとすごく聞こえるが、実際は大した事はない。もちろん、それぞれの専門の最高権威を相手にすると太刀打ちはできない。しかし、その辺でブラブラしている大学生の専門知識なんて大したものではない。

完全な素人でも、半年頑張れば平均的に大学生をかなり上回るところまで学問は進む。専門などと言うのは、しばしばこけおどしであるに過ぎず、熱心なアマチュアの独学にはかなわない。

著者の考えでは、独学できっちりと学問できない人間が、やむを得ず恵ず学校に行って教育を受けていると考えているようだ。独学で立って行けるだけの強い精神を持っている人間は、本当は学校に行かなくたって、ちゃんとやっていける。

海外の教育事情

筆者はアメリカの大学で教師をやっていたこともある。

アメリカでは、大学生の中に30歳以上の人が割と普通にいる。子供を持つ父親が勉強していると言うことも珍しくはない。

多くは若者だが、混じって30歳以上の学生たちが普通に討論している。日本ではあまり見ることができない光景で、著者は衝撃を受けたという。

アメリカの大学は、ほとんどが市民のための成人学級を設けている。

アメリカの大学は、若い世代のためだけにあるのではなく、新しい知識を求める人たちに存在する。年齢や性別人種を問わずにその機会を与えている。

人間の人生は意欲があるからこそ充実したものになる

教育の基本的な目的は、人生に対する意欲を培うことにある。

しかし、今の日本社会での教育の根本問題は、それにあまり貢献していないのみならず、むしろ、意欲を殺しているという点にある。

本来、人間は好奇心の塊だ。子供は親に「なぜなぜ」と何回も質問する。最初は答えられるが、年齢が上がってくるにつれてその質問の精度も上がってくる。その時に、質問が難しいからといって、親が投げやりに、頭から否定的にあしらってしまうと子供の好奇心が削がれてしまう。

幼児期のそういった経験は、長くその子の人生に影響を及ぼす。そして学校は、時間をかけて好奇心を殺す。

そもそも、日本の教育は昔から暗記主義の伝統だ。「とにかく何でもいいから教科書に書いてある通りのことを暗記すれば良い」という、学習哲学だった。

「なぜ」に対して答える事はなく、とにかく覚える、暗記しろ、本に書いてある通りのことを覚えるのが学習と日本人は考えてきた。

そんな環境の中で、本当に自発的な意欲は育たない。日本の教育制度が求めるのは、「あらゆる学科について平均的な人間」であって、「特定の領域に偏りがある人間」は制度の中でも決して高く評価されない。何か1つに突出して強い人は異端としてみなされる。

意欲のある人間になる

大事なのは意欲ある人間を育てること。「何事かを成し遂げよう」という意欲を心の中に持った人間は、日本の教育制度の中では優等生にはなれないかもしれない。

先生の言葉を一言残らず書き写す事はもはや必要ではない。大抵の事は本に書いてあるので本を読めばいい。

「大学卒」なんという学歴なんて問題ではない。著者の友人の中には、制度上の学歴が乏しくても、読書力によって、そこらの大学卒をはるかにしのぐ格式を持った立派な自制心を持つ人がたくさんいる。

昔は他に知識を手に入れるための手段がなかったから、学校に通う事は絶対に必要な教育の方法だった。しかし今では、独学できる環境が用意されている。